リプルクリエイト代表者の自己紹介ページです – 広島で外壁塗装・屋根塗装するなら信頼のリプルクリエイトへおまかせください!

代表挨拶:プロフィール

初めまして。リプルクリエイトの川岡寛之です。
弊社は、塗装工事が完了したときお客様から「やっぱりここに頼んで良かった!」と思っていただけることを使命として日々努力しています。
私がそんな風に思うのは、良くも悪くも長年に渡って塗装業界を見てきたということもあります。
ここに至るまでの要因には、私の生い立ちによる影響もございます。

少し長くなりますが簡単な自己紹介をします。


【少年時代】

私は職人気質の父親に一家の長として、厳しく育てられていたのですが、その経験がのちに私を独立起業に至るきっかけになりましたので、少しだけ聞いてください。

私の父は脱サラ組の職人だったこともあって、とても厳しい人でした。
男気(おとこぎ)がありとても責任感も強い人だったのですが、自分の生きざまをそのまま私の教育にも当て込んでいて、昭和男児を育てるといった感じでマナーから徹底して厳しくされていました。

一方の私は近所にあった山や川、海で遊んで怪我をしたり、小学校の時の遠足でクラスのみんなと違う道を歩き、担任に心配されるという“型にはまりたがらないような子供”でした。

そんな子供がいつまでも父親のいうことを大人しく聞いているはずもなく、中学校に進学したころから父の言うことにことごとく反発するようになりはじめました。
そしてその感情はやがて、私の人生観にまで影響を与えるほどに膨らんでいったのです。

「俺の人生は俺のものだ!誰の指図も受けない!」

親に世話になっておきながら誰の指図も受けないなんてすっとぼけたことを言う、勘違い少年になってしまったのです。

 

そんな勘違い少年が17歳になったある日いつものように父と言い争っていると、二人の関係を見かねた母が、私に対して祖母の家に一時期移り住むことを提案してくれたのです。

「あなたたちは一回離れたほうがいい」

そして、そこで出会った人が私の人生を大きく変えることになったのです。
子供時代の川岡
子供時代の私(上から父親・私・弟)

【ニッカポッカとの出会い】

 

とある日の夕方、近所のお好み焼き屋さんでお好み焼きを食べていた時のこと。

あつあつのお好み焼きを頬張る私の目の前に、ペンキが付いたニッカポッカをバッサバッサとさせながら歩く職人の姿が目に飛び込んできたのです。

「おばちゃん!おこのみダブルね!」

私は頭をハリセンで思い切りバーン!と叩かれたような衝撃を受けたのです。

「なんかわからんけど、とにかくすげぇカッコイイ!!」

首にタオルをかけて幅広のニッカポッカを履いた男が、股を広げてお好み焼きを食べているだけの姿を眺めながら思ったのです。

「決めた!俺は職人になる!!」

思ったら即行動の私は家に帰って両親にこう言ったのです。

「俺、職人になる」

突然そんなことを言われた母親は泣き崩れ、担任の先生が何度も説得に来ました。

「あんた、学校を辞めていきなり職人になるなんてそんな甘い世界じゃないよ」
「川岡君、高校を卒業してからでも遅くはないよ」

そして父親は冷静でした。

「、、、まぁお前の人生じゃ。お前の好きに生きたらええ。じゃが自分で選んだ道で泣き言をいうなよ」

こうして私は塗装職人の世界に足を踏み入れたのでした。

【仕事にかける父の思い】

塗装屋に入る前に少しだけ父の仕事を手伝っていた時期がありました。

なにかにつけてうるさい父と一緒に仕事なんて本当はやりたくなかったのですが、父が毎日見ている職人の世界を知りたかったのです。

現場での父は家にいる時よりもさらに厳しい男でした。
「なにやっとんじゃ!しっかりやれ!」「お前はもうええ!帰れ!」

まるで鬼教官のような父に嫌気がさして数か月で離れてしまったのですが、仕事中に父が言った言葉の中で今でも覚えていることがあります。

「わしらぁ職人はお客様あってなんぼの存在じゃ。お客さんが悲しむような仕事をする奴は職人じゃぁない」

【見習い職人から独立へ】

かくして私は塗装屋の門を叩いたのです。

「今日からお世話になります川岡です」

職人の世界は想像以上に肉体労働で、見るもの全てが初めてのことばかりで大変だったのですが、持ち前の反骨心を発揮してどんどん技術を習得していきました。

「親方、もっともっと僕に技術を教えてください」

見習いから5年目になるころには先輩職人に指示をするほどになり、現場監督とも対等に打ち合わせが出来るまでに成長していました。

しかし、そんな風に指示する私に苛立ちを感じていた先輩から、押さえつけられることも増えてきました。

「お前、先輩を差し置いてなにやりよんなら。調子に乗るのもええかげんにせいよ」

日頃から会社に貢献できるように頑張っていた私にとって、この言葉を聞いた瞬間に絶望を感じたのです。

「ここに居たら平凡な塗装職人で人生が終わってしまう」

そうして独立したのが24歳の時でした。

私は塗装しかできない人間なので、がむしゃらに働くことしかできませんでした。

朝7時には現場に行って、毎日真っ暗になるまで馬車馬のように働きました。

当時の自分を思い返すと、頭がおかしいのではないかと思うほど働いていたのですが、そんな私に目を付けてくれた塗装屋の社長に声をかけていただいて、その人の下で工事を請けさせてもらうことになったのです。

「がんばってよ!川岡君!」

それから私は今までに輪をかけて仕事を頑張るようになりました。
仲間を増やしてどんどん仕事を請けて、妻まで現場に駆り出すほどノリに乗っていたのです。


がむしゃらだったころの私

しかしほどなくして、様子が変わってきました。
死ぬほど頑張って利益を出しているはずなのに、なぜか月末になると妻と口論することが増えてきたのです。

「最初は良かったけど、最近お金が残らないよ。あんなに頑張っとるのになんで毎月赤字になるん?一切無駄遣いもしてないのに」

月末になると不機嫌の顔をして愚痴を言ってくる妻に対して、現状を改善できない自分の不甲斐なさから感情をぶつけるようになりました。

「俺が悪いの?こんだけがんばっとるんじゃけー絶対にうまくいくから。今にみとけって!」

しかし、そんな思いとは裏腹に赤字はどんどんかさんで、職人仲間に給料を払ったら自分の分が残らなくなってきたのです。

「このままじゃまずい。借金が増える」

そうこうしているうちに私に仕事をくれていた社長が突然いなくなってしまいました。

「おい川岡!おおごとじゃ!あのバカ飛びやがった!」

同じ下請け仲間からかかってきた電話を聞いた私はその会社に飛んで行ったのですが、数名の職人が集まっているだけで事務所は漫画みたいにもぬけの殻でした。

「マジかよ、、、、」

当時の私は先で報われることを信じて赤字分を借金で埋めていたのですが、返すあてがなくなり自暴自棄になってしまいました。

信じていたがむしゃらな努力がマイナスの結果を招いたことを罪に感じた私は抜け殻のようになってしまいました。

大きな工事は失敗するとデカいからという理由で一切やらなくなり、小工事や住宅塗装ばかりするようになりました。

馬車馬時代のガッツを失ってしまった私は、激安であろうと孫請けであろうと惰性で仕事をするようになりました。

【再起】

請けていた工事は基本敵に赤字か、赤字ギリギリの予算なので、いかに早く工事を終わらせるかという事ばかり考えて仕事をしていました。
当然のように休憩もせずに作業をしていたのですが、お客様はそんな私を労ってお茶菓子まで出してくれるのです。

「暑いでしょう?お茶でも飲んでくださいな」
「寒いのに大変ねぇ、コーヒーでもいかが?」

 

そんなある日、私は元請けばかりが利益を得ていて、お客様や職人が損をしているという事実を知ることになったのです。

このころから私は、住宅塗装工事の構図が間違っていると思うようになりはじめたのです。

業界全体を見てみると、多くの職人が自分と同じような仕事のやり方をしているだけではなく、当たり前のように手抜き工事をしている。

それどころか、手抜きの技術を仲間同士で共有しあっている職人までいたのです。

そんな職人を横目で見るうちにふと、父が言っていた言葉を思い出したのです。

「お客さんが悲しむような仕事をする奴は職人じゃぁない」

この時私は初めて父の言っていたことを認めたのでした。

その後、自分たちがこの業界を塗り替えてやろうと思い立って色々動きました。

しかし長いこと続いている塗装業界の仕組みを変えることは出来ませんでした。

その結果、私たちはリプルクリエイトに工事を依頼してくださるお客様を必ず幸せにするという使命をもって仕事をすることに徹底し始めたのです。

あれから10年が経過して、私たちは地域のメイン道路にお店を構えるまでに成長しました。

当時とまったく変わらない信念をもって今日も頑張っています。
初期メンバー
住宅専門の外壁塗装店として立ち上がった当時の初期リーダーと一緒に。

 

【将来に向けて】

そんな私には夢があります。

「広島で塗装と言えばリプルに頼めば間違いない」 と言われるようになって100年続く会社にするという夢です。

100年計画なので当然私はこの世に居ないでしょう。

でも恐らく、100年後も私の写真が初代社長として額に飾られていると思います。

そのために私は、今の仲間たちと共に頑張っていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
代表川岡寛之

 

   

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